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ザ!世界仰天ニュース!小林光弘死刑囚とは?事件真相

   

今年死刑執行された小林光弘とは?

2014年12月17日放送の世界仰天ニュースでは今年の様々な事件が放送されるようです。

その中に小林光弘という2001年に青森県で起きた放火事件の犯人の死刑が執行される特集があります。

気になったのでリサーチしてみた。

【事件概要】
2001年5月8日、武富士弘前支店に押し入った男が「金を出せ」とガソリンに火を付けた。これにより従業員5人が死亡、4人がやけどを負った。犯人は何もとらずに逃走した。
2002年3月3日、タクシー運転手・小林光弘(当時43)が逮捕された。

【小林について】

青森県南津軽郡平賀町で4人兄弟の次男として生まれる。
千葉県で定時制高校に通っていた当時、ガソリンスタンドでアルバイトしていた。
1987年、青森に帰りタクシー会社に勤務。人当たり良く、勤務態度も真面目だった。
1995年1月、自宅購入。このときの1760万円の住宅ローンを組む。

1997年ごろ、自身の仲人の女性・A子に「面倒を見ている一人暮らしの老人から近々1000万円もらえる予定だが、その手続きに金がいる。貸してもらえないか」と持ち掛けられ、青森市内の4つの消費者金融から50万円ずつ、計200万円を借金した。小林の妻も消費者金融から50万円を用立てていたという。

1998年頃、タクシー会社の労働組合から10万~20万円程度を借りて青森競輪場に行き「一発勝負したが負けた」などと話していた。この借金は給与から天引きで返済していたというが、競輪資金として複数の消費者金融から金を借りていた。借金の総額は2300万にまで膨れ上がっていた。

一時は同僚を交え、A子に金を返す旨の念書を書かせたりしたとされるが、既に督促に困っていた小林は、退職金を見込んで10年勤めた青森のタクシー会社を退社して、以後職場を転々とする。上京し、東京のタクシー会社にも勤めたこともあったが、3ヶ月ほどで青森に戻った。

2000年4月、増収を見込んで軽貨宅配の仕事を始める。

4月末、行方をくらましていたA子が、岩手県にある港で一家三人と心中。A子はその直前、詐欺容疑で青森署から指名手配されていた。小林もA子を信じ込んでおり、A子の死で借金を完全に背負う形になった。増大した借金に小林はますます競輪にのめりこむようになる。

2001年5月、1度辞めたタクシー会社で再び働き始める。同僚は「勤務態度はまじめ」「安定したノルマを果たす仕事ぶりだった」と話している。

【犯行】
5月7日、勤務先の休日を利用して弘前支店を訪れ、カウンターの位置や従業員数を確認。浪岡町周辺のガソリンスタンドで約4リットル入りの金属缶でガソリンを購入した。ちなみに犯行当日も休日だった。

5月8日午前10時45分頃、小林が弘前市田町5丁目のビル3階の武富士弘前支店に押し入る。支店には出入り口から奥が見えないように、カウンター部分と店舗奥にある管理室との間を仕切る壁があり、男は出入り口近くからカウンターの内側に向かって、金属製の缶に入ったガソリンを主成分とした混合油をまいた。撒き終えると、小林は「金を出せ出さねば火をつけるぞ」と津軽弁で脅迫、支店長が断ると火を付けた。同48分には支店長が「今、男が来て火を付けるところだ」と通報。凶行はわずか2~3分の間に行われた。
当時、支店内の金庫には1000万円が入っていたが、小林は予想以上に火の勢いが強かったためか、何もとらずに外に停めておいた緑色の軽ワゴン車「スバル・サンバー」で青森市方向に逃走。

この火災により、同支店勤務の田沢伸治さん(36歳)、太田はるかさん(20歳)、葛西志保里さん(22歳)、笹森容子さん(46歳)、福井貴子さん(30歳)の5人が焼死、他に店長ら4人も火傷を負った。亡くなった5人は店舗奥に追い詰められたような状態で発見された。出入り口は1カ所しかなく、このため、従業員らは出入り口から反対方向の管理室の方に逃げたが火の回りが早く、避難口に設置したロープ式の避難器具も使えなかった。駆け付けたファストフード店の店長らがかけたはしごで、火傷を負いながらも4人が脱出できただけだった。
同支店では防犯ベルが5箇所に設置されており、ベルが鳴れば数分で警備員が駆けつける体制になっており、2台の防犯カメラも24時間稼動していた。しかし、店内の焼失とともにカメラも燃えてしまい、科学捜査研究所にまわせないものが多かった。

5月9日、小林は事件翌日にはなにくわぬ顔で出勤している。この日、ガソリンを入れていた4リットルの金属缶を自宅近くの雪捨て場のようなところで捨てた。

5月下旬、小林、裁判所で自己破産の申請。

12月25日、事件が起こった弘前市のビルが取り壊される。

武富士では犯人の似顔絵入りのポケットティッシュ2億5000万個を配り、犯人逮捕に協力した。ニュース番組などでも似顔絵がたびたび紹介されるなど、小林を追いつめていった。

【逮捕】
翌2002年3月3日朝、犯人が逃走に使った車と同じ色の緑色の軽ワゴン「スバル・サンバー」を保有、犯人の似顔絵とよく似ていたことから、青森県浪岡町の小林に任意同行を求めた。3月4日、取り調べた結果「わたしがやりました」と容疑を認め、逮捕。犯行当時着ていたつなぎも小林の自宅でみつかった。

逮捕後の小林の供述は以下のようなものである。

「5人も死ぬと思わなかった」
「火を付けたのは逃げるためで、殺意はなかった」
「人生、命を奪ってしまい、ひたすら頭を下げるだけです。後は、法の裁きを受けるだけ」

【裁判】
2003年2月12日、青森地裁、「競輪にのめり込んで借金を重ねた末の犯行。焼死者5人、負傷者4人を生じさせた罪責は限りなく重い」として、求刑通り死刑を言い渡した。小林、控訴。

2004年2月19日、仙台高裁、控訴棄却。小林は上告。

2007年3月27日、最高裁・上田豊三裁判長「逃げ道のない室内で放火し、恐怖におののいている被害者らを焼き殺した凶悪で残虐な犯行。結果も極めて重大」と述べ、上告を棄却。死刑が確定した。

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